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2017.09.30

欧州散策ポーランド・ワルシャワ

 9月26日夜 ポーランドの首都ワルシャワ旧市街を散策

9月26日に仕事でポーランドのワルシャワに行った。その晩、食事をしに旧市街へと足を運んだ。ポーランドはEU加盟国でありながらユーロの使用が認可されていない。EUからの支援が無いと発展もままならない経済状況らしいが、ワルシャワの中心地はドイツの都市と何ら遜色のない賑わいだった。中心街の幹線道路には路面電車が走っており、いかにも旧共産圏の見栄を張った大型建造物が目についた。その割には物価が安く、宿泊したホテルもベルリンより良かった。しかし、ワルシャワと地方都市とでは格差があるそうな。まあ、どこの国もそんなものだろう。

王宮広場の入口には、首都をワルシャワに遷都したジグムント3世の記念碑(Sigismund's Column)が建っている。

ワルシャワは13世紀から城郭都市として発展したらしい。王宮広場沿いの城壁が、その歴史を現代に伝えている。

王宮広場から少し入ったところに、旧市街広場と呼ばれるマーケット・プレイスがある。存在はベルギー・ブラッセル(ブリュッセル)のグラン=プラスに近いが、建築様式が質素なため比べるとかなり見劣りする。しかし、廃墟と化した街並みを昔のように復元し、ポーランド国民の歴史と精神性を取り戻した姿なので、様式の奥にある愛国心と市民の情熱に美しさを感じる。ワルシャワ旧市街は、「破壊からの復元および維持への人々の営み」が評価された最初の世界遺産となった。

 予期せぬ出会い! コペルニクスとショパン

商談のための準備に忙しかったので、ワルシャワについては何の予備知識も持たず訪ねたのだが、天文学系の器具を持ったオジサンの像(写真左)の横を見ると、どうもコペルニクスと読める。ポーランド語でミコワイ・コペルニク、そう地動説を唱えたニコラウス・コペルニクスのモニュメントなのだった。

夜中にも拘らず出入りしている建物があると思って近づくと、ワルシャワ大学の入口(写真左3段目)だった。その横のプレート(写真下2段目)を見ると、ポーランド語でフルィデールィク・ショペーンと書いてあるではないか。お恥ずかしながらクラシック音楽に疎い私は、ショパンがワルシャワ出身だとは知らなかった。ここで10年間学んだらしい。

コペルニクス像の背後には、国立のポーランド科学アカデミー(PAN: Polska Akademia Nauk)が建っている。

大統領官邸(旧ラジヴィウ宮殿)と、ナポレオンのワルシャワ公国建国に貢献した英雄ユーゼフ・ポニャトフスキの像。

ワルシャワ大学の入口。遅い時間でも開門しており、人が出入りしていたので覗いてみると大学だった。

左の写真の右端の柱に取り付けられているプレート。ショパンが1817年から27年まで“住んで学んだ”と記されている。

訪問した時間帯が夜だったため、写真で見ると夜景が綺麗だが、街全体の姿は把握しがたく、時間も予備知識も無かったので、本当に行き当たりばったりの散策だった。結構、科学や歴史にまつわる観光資源は豊富なようなので、是非次の機会を見つけて昼間に来てみたいものだ。ポーランドは移民を受け入れていないこともあり、ロンドンと違って街中にアラブ人が溢れていない。人の外観や言葉は、ドイツよりロシア寄りといった感じ。純粋に観光で来られる方でも、ワルシャワは十分楽しめる都市だと感じた。プライベートで、他の東欧諸国も訪ねてみたいと思っている。

2017.09.23

フランクフルト・モーターショー③

 もう一つの目玉!和製電動スーパーカー見参: アスパーク・アウル

メルセデスAMG・ハイパーカーと並び、私の中でもう一つの目玉車種が、このアスパーク・アウル(OWL)である。

会場ではスタッフの方がお声をかけてくださり、開発趣旨等を色々教えてくださった。彼曰く、社長の吉田眞教氏(44歳なので結構世代が若いとは思うが)はスーパーカー・ブームの影響を強く受けており、実用を越えた正に “スーパー” な自動車を自分で開発するため、まず人材派遣会社アスパーク(ASPARK)を大阪市に設立。そこでエンジニアを雇って派遣しながらノウハウを蓄積し、3年前に世界最高加速の電気自動車アウル(OWL)の開発に着手して、遂に初お披露目の日を迎えたという訳だ。

車名は、夜に音もなく獲物を襲う猛禽類のフクロウ(英語でアウル)に因んでいる。ガルウィングやボディ形状もあるだろうが、やはり100%電動(スーパーカーでは世界初)による “静かな速さ” を象徴しているのだろう。そのスタッフの方によると、1台4億円で限定50台の受注生産販売を2年後には実現したいとのこと。私も本物の和製 “スーパー” カーの誕生を心から期待している。ただ、個人的には単にスペックを競うのではなく、大人になった昔の “スーパーカー少年” 達(私を含めて)の後半人生に、新しく尖がったライフスタイルを提唱できる、包括的な視点からのスーパーカー企画をお願いしたいところだ。

前回私がフランクフルト・モーターショーを訪れた1995年は、ロータス・エリーゼがバスタブ式モノコック・ボディと共に初披露され、イタリア時代のブガッティEB110やフランスのベンチュリ、アストン・マーティンで私が一番好きな93年式ヴァンテージなど華やかな展示車両の中に、和製スーパーカー(?)のジリアート・エアローザがあった。ランボルギーニと提携して発売直前まで行ったものの結局プロジェクトは頓挫した。アスパーク・アウルもその二の舞とならず、成功することを切に祈っている。

私が撮影してYouTubeにアップしてある動画

 その他の日本車: ホンダ、レクサス、マツダ

日本の普通自動車で唯一のミッドシップ車といえば、ホンダのNSXである。性能も価格もスーパーカーなので、当然の如くレース仕様車が展示されていた。国内のスーパーGTにはNSXコンセプトの時代から参戦している。トヨタ・ヤリス(Yaris)は日本国内ではヴィッツ(Vitz)の名で知られる大衆車だが、欧州ではラリーの活躍によってヤリスの世界的知名度は高い。因みに私の父の最後の愛車がヴィッツだった。マツダは、2座オープン・スポーツ世界最多販売記録保持車のロードスターに、遂にハードトップ・モデル(待ってました!)を投入した。因みに、私のイギリス赴任前の愛車はマツダ・デミオ(しかも初代)だった。

マツダ・ロードスターのルーフ・オープン・アクション
背の高いドイツ人に交じって、横に広いずんぐりむっくり日本人が目立ったのか、マツダ・コンパニオンの女性が「ルーフ・オープンを見るか」と声をかけてくれて、私のため(?)にハード・トップ・ループを開いてくれた。さすが日本車のコンパニオンは日本人に優しい。オープン時がスパイダーではなくタルガ形状なので、屋根板を収容するだけのシンプルなアクションである。

 掘出し物?たくさんの旧車達: メルセデス、マツダ、コルベット、ケーニッヒ等 

温故知新ということか、メルセデスはかつての試作スーパーカー・C111を展示し(メルセデスらしくなく、一般入場者のアクセスが制限されていた)、マツダは世界初の量産ロータリー・エンジン搭載車・コスモスポーツを展示していた。マツダのコンパニオン(?男性だったけど)に、「我々も自社の博物館に展示している」と伝えたら、「広島(マツダ本社)か?」と問い返されたので、「いやいや、高知の創造広場アクトランド内、クラシックカー博物館だよ」と自慢げに教えてあげた。

主役の自動車メーカー達とは別に部品メーカー等の出展ホールがあり、その中の旧車展示ブースが圧巻だった。展示趣旨は色々あったようだが、ケーニッヒ512BBターボの実車にただただ感動し、それ以外の情報は吹っ飛んでしまった。

結局、新車発表・即売会はどちらかというと自動車メーカーの営業部隊であり、自動車ファンにとっては新型車でなくとも、過去の名車・旧車の展示で十分楽しめるということだ。実際ヨーロッパでは、旧車の展示会が各地で催されており、以前の駐在中にはベルギーのレトロモービルへ行ったことがある。そういったイベント系の他にも、欧州各地に自動車博物館があるので、それらをひっくるめて今後の欧州散策テーマにすることとしよう。

 フランクフルト・モーターショーのレースクイーン事情

記事①の最後に、赤黒2トーンのオペルの写真を掲載したが、車にカメラを向けたらコンパニオンが意図的に画角から離れようとした。「入って」と手で招いてあのショットを撮った。つまり、出展側も見学側も大前提は自動車そのものの堪能であり、コンパニオンは飽くまでアシスタントで、撮影される対象という意識も習慣も無いということだ。だから衣装も地味。

唯一、撮影される前提の立ち居振る舞いをしていたのが、旧車コーナーに居た左の2人のバニーガールである。彼女らはコンパニオンではなく、雑誌(旧車コーナーの主催者)をアピールするための本物のモデルのようだった。

モーターショーとしては、フランクフルトの姿は日本より成熟している。しかし、日本ならではの “Kawaii 文化” の成熟という意味においては、華やかなレースクイーンを擁する東京モーターショーの方がエンターテインメント性に優れていると言えるだろう。楽しみ方は色々だ。

 モデルカーの販売コーナー: オートマニア

フランクフルト・モーターショーには、実車やパーツの展示だけでなく、モデルカーや書籍などの関連グッズ販売コーナーがある。また、各ホールの外にある屋外広場にはフード屋台の他にグッズ小屋も数多く出されていた。私が会場に入って、真っ先に訪ねたのが実はここ。実車展示は逃げないが、モデルカーの掘出し物は誰かに先買われると購入機会を逸してしまう。

また、地元ドイツの王者メルセデスは、自社出展会場の中にモデルカーを含むグッズ販売コーナーを設けていた。販売中のモデルカーを柱に縦に並べたお洒落なディスプレイ。さすが王者である。コレクターにとっては、この “メーカー特注モデル” というのが曲者で、通常の流通に乗ってこない。既に持っているかもしれないので “最新” であることをしつこく確認し、メルセデス・AMG・2ドア・クーペを1台購入した。買わずに後悔するより、買って後悔する方がコレクターとしてのダメージは少ない。

結局、全体で15商品(16台)を購入。2/3は既に保有済みだが、イベント会場の割安価格だったため承知の上で購入した。

 今後に向けた反省点

結論から言うと、私が好きなスーパーカーや2ドア・クーペは市場としてはニッチでマイナーな領域のため、社会情勢や展示会場の国情に大きく影響を受けるということ。従って、車を知らなくても大金を払ってポイっとスーパーカーを購入する金余り富豪国家や、最新デザインを世に問う伝統のモーターショーなど、開催地の特性を十分認識しておく必要がある。

確かに一昨年の東京モーターショーもそうだった。上海と違って浪費家大富豪の居ない東京だからと思っていたが、自動車大国のドイツでも似たような状況だったということは、こちらから的を絞って出向くしかないという訳だ。11月には金余り国家ドバイで、来年3月にはデザイン先鋭地ジュネーヴでモーターショーが開催される。さあ、乗り込む計画を立てようか。

2017.09.21

フランクフルト・モーターショー②

 仕方なく出展?控えめなイタリアン・スーパーカー: フェラーリ、ランボルギーニ、マセラティ

既に新型車の発表は終えているためか、フェラーリやランボルギーニといったイタリア製老舗スーパーカーは寂しい展示内容だった。もちろん、展示場の柵はたくさんのドイツ小市民達に取り巻かれ、一部の裕福そうな人達だけが柵内に入り我が物顔で座席に座るといった光景が繰り広げられていた。そう思うと、ドイツ車メーカーはコンセプトカー等でなければ基本的に近付き放題の触り放題だから、偉いよね。ランボルギーニはフォルクスワーゲン・グループでありながら、たった2台しか出展しておらず、“仕方なく付き合いで出展している” 感が否めなかった。

 フランス車の皮を被った独フォルクス・ワーゲン: ブガッティ・シロン

ブガッティも、フランス車・ブランドでありながら親会社はフォルクスワーゲンなので、付合いで出展したといった感じ。やはり、初お披露目の車種でなければ、展示の華やかさも話題性も数段トーンが低くなる。シロン(Chiron)という車名は、先代ヴェイロン開発時の1999年にイタルデザインのスタディ・モデルに付けられていた。ヴェイロンもシロンも、往年のブガッティ・レーサーであるピエール・ヴェイロンとルイ・シロンの名に因んでいる。新興のスーパーカー達とは歴史と伝統が違うよという主張だろう。フロント・グリルの42という数字は、0-400-0km/hを世界記録の42秒(41.96秒)で達成したという自慢だ。本当に凄いのなら、過去のレースの栄冠やスペックを鼻に掛けず、黙って現代のF1かル・マンで実力を証明すべきだろう。

私が撮影してYouTubeにアップしてある動画(装置の不備で音声は未録音)

 影の薄い英米車: マクラーレン、ジャガー、ベントレー、米フォード

イタリア車であの程度だったので、英国車のマクラーレンなどは出展すらしていなかった。左下の写真は、屋外に何かの関係で展示されていた1台である。アストン・マーティンは参加すらしていなかった。ドイツを市場と見なしていないのだろうか。まあ、ロンドンに住んでいれば通勤時だけで毎日5台はアストン・マーティンを見る。最大の市場はイギリス国内かもね。

 華やかなレーシングカー: GTレーサー、フォーミュラ カー、ル・マン カー、ラリー カー等

ご存知のように、自動車はその誕生と共にレースという競技を生み出している。そのレース専用にチューニング、又は専用開発されたレーシングカーは、何と言っても自動車業界の花形である。アウディやベンチュリがフォーミュラE カーを、ルノーがフォーミュラ・コンセプトカーを、ポルシェやトヨタがル・マン カーを展示していたが、一番賑わっていたのがフォードGT(2代目)の展示ブースである。68号車(展示車両とは別)が昨年のル・マンで初参戦にて初クラス優勝を果たすなど話題性もあった。

レポートの最後となる「フランクフルト・モーターショー③」では、今回初お披露目となった和製電動スーパーカーを紹介。

2017.09.19

フランクフルト・モーターショー①

 会期2017年9月14日~24日: ドイツ国民のためのドイツ車の祭典を訪問(9月17日)

ふとしたことで、次の週からフランクフルト・モーターショーが開催されることを知った。前の欧州駐在時、1995年にたまたまフランクフルトへ自家用車で遊びに行ったらホテルが一杯と聞かされ、モーターショーの開催を知って急遽訪ねたことがある。その回は社会情勢上スーパーカーが盛りだくさんで、非常に満足のいく内容だった。その印象が強いため、急遽航空券と最寄りのホテルを予約し、一般公開される最初の週末にフランクフルト訪問を決定。9月16日(土)は重要な用事があったため、その後の夜のルフトハンザ航空便でフランクフルトに入り、翌17日(日)の朝一から終日見学することとした。

思い知らされたのは会場の広さ。各ホール間の移動にかなり歩かされる。帰りの飛行機があるため、無駄なく全体を回ろうと心掛けたが、なかなか思う通りにはいかない。昼飯も取らず、正に駆け足で移動した。圧倒的だったのは王者メルセデスで、地上数階に及ぶ一つのホールを丸々利用していた。BMWなど他のドイツ勢も多くのスペースを占有しており、ドイツ国民のためのドイツ車の祭典という性質が色濃く出ていた。そのためか、メルセデスもポルシェ(下の写真)もコンセプトカー等以外の展示車には触り放題くらいの勢いで開放しており、エンジニアなのかマニアなのか、シャーシの下面をのぞき込む見学者もいて、ドイツにおける自動車文化の浸透ぶりを再確認した次第。さすが世界初のガソリン車を生み出した国だけのことはある。

 今回の目玉!ハイブリッド・スパースポーツ: メルセデスAMG・パイパーカー

モーターショーは俗にいう “見本市” で商談が本義のため、一般公開される前にメディアやビジネス関係者らに先行公開されるしきたりだ。その際に最も話題を集めた車が、メルセデスAMGの「オンロードでの走行が可能なF1マシン」こと「プロジェクト・ワン」ハイパーカーである。AMGの創立50周年記念車でもあり、メディア初公開時はメルセデスの現役F1ドライバー、ルイス・ハミルトンが壇上に登場し、紹介に一役買った。ロードカーでは珍しい背びれ(?)も、最近のF1トレンドだ。かつて皇帝ミハエル・シューマッハの全盛時代に、フェラーリがF1モチーフを取り入れたスペチアーレ「エンツォ・フェラーリ」を発表した構図に似たものがある。今期はハミルトンが駆るメルセデスがF1を引っ張って行っている。ワールド・チャンピオンを獲得したミカ・ハッキネンの時代以上に、今がメルセデスF1の全盛期ということなのだろう。

 ドイツ人にとっては日常品: メルセデスAMG、ポルシェ、BMW

時代の流れなのだろうが、全体的にコンセプトカーは電気自動車に関するものが多かった。私は原則的に2ドア・クーペにしか興味がないため、写真も撮影しない。左下のメルセデスは写真を掲載するまで4ドアだと気付かなかった。また、オープンカーはできるだけクローズ状態を撮影したかったが、必ずしも閉じてもらえず、時間の関係もあって断念した。それ以前に、車の周りから人が居なくなるのを待って撮影していたため、1枚1枚それなりに時間と忍耐が必要だった。せっかくのモーターショーだったのに撮影だけに時間が取られ、どの車の運転席にも座ることができなかった。

 庶民の味方、小粒ながら粋な車種達: ミニ、スマート・ブラバス、フォード、オペル

ミニも電気自動車コンセプトカーを発表していた。2段目のパール・グレー色の車だ。スマートはブラバスと提携したのか、メルセデスがAMGを自社に取り込んだように、スポーツ・ブランド担当として吸収したのか、同系列で車種展開していた。フォード・フィエスタ(3段目右の2台)は、トヨタ・ヤリスと同様にラリーで活躍していて知名度が高い。添え以上に、全く視野に無かったオペル(最下段)が割と良い形状の車種を出していた。後で知ったが、オペルは今年3月にフランスの「グループPSA」 (旧・PSAプジョーシトロエン)に買収されたらしい。そのため少し垢抜けてきたのだろうか(?)。いずれにしろ、今後に期待。

私が撮影してYouTubeにアップしてある動画

続きの記事「フランクフルト・モーターショー②」では、イタリアン・スーパーカーや花を添える役割のレーシングカーを紹介。

2017.09.03

ロンドン散策 その11

ロンドン科学博物館(8月20日のブログ参照)でテムズ・バリアの模型を見たのだけれど、機構や機能がよく分からなかったので、天気の良い9月2日(土)に実物のテムズ・バリアを確認すべくお出かけした。

 テムズ・バリア (Themes Barrier)

セントラル・ロンドンに住んでいると、グリニッジでさえ遥か遠方の気がするものの、ノース・グリニッジのテムズ・バリアまで、地下鉄とバスを乗り継いで1時間強だった。結構近い。

地下鉄ジュビリー(Jubilee)ラインのノース・グリニッジ駅で降り、地上のバス乗り場(Stop A)から472番のバスに乗る。10分弱走りRoyal Greenwich Uni Tech Collageという道端のバス停で降りて歩くのだが、バス停の案内アナウンスが遅れることがあるので、皆さんは右の写真の看板を目印にし、通り過ぎたら次のバス停で降りることをお勧めする。

公園のような遊歩道(リスが居た)を抜け、堤防への階段を上がると、テムズ川と7基の銀色のカニの爪(カタツムリの割れた殻?)が一気に視界に飛び込んできた(川の中の土台は9基)。対岸まで並ぶテムズ・バリアの壮観な景色が広がる。

イギリスでは地理的条件から、大西洋の低気圧によって発生したストームが東側の北海に回り込み、下るにつれ海峡が狭くなることから、テムズ川の河口から高潮となってロンドンの街に襲い掛かることがよくあるそうだ。特に、1953年1月31日に発生した高潮(North Flood ´53)は、イースト・コーストとテムズ河口域で307名の死者を出す大災害となり、政府は恒久的な高潮対策の実施を決定。数多くの公募案の中から、チャールズ・ドレイパー(Charles Draper)技師による回転堰の案が採用された。74年に着工し、82年に完成。84年から正式な運用が開始された。

西側(テムズ川上流側)から見た姿。西側の銀の建屋に、堰を回転開閉させるための油圧シリンダーが収まっている。

東側(テムズ川の河口側)から見た姿。模型で説明されていなかったので、東側の建屋に何があるのかは分からない。

堰を開いている時、当然だがバリアの間を船舶が航行する。この日も頻繁に通っていた。堰の奥に見える高層ビル群は、奥がカナリー・ワーフ。その手前の建設中ビル群(タワー・クレーンが立っている)と後に隠れている白いドーム(黄色い棘がたくさん出ている)は、ノース・グリニッジ駅のすぐ隣にある。ドームは「ザ・オーツー・アリーナ(The O2 Arena)」と言い、一流アーティストの音楽イベントや数々のスポーツ・イベント(オリンピック含む)が行われる有名な会場らしい。今日も賑わっていた。

可動堰の仕組みは、河床に対し垂直に立った円盤の下1/3位に付いた扉を、水上の油圧シリンダーで円盤を回転させて河床立ち上げるというもの。機構も面白いが、世界最大級の可動堰ということで、建設方法にも興味深々。まず、この地が選ばれた理由は、高潮を受け止める構造物の土台として相応しい、しっかりしたチョーク層の地盤があったからだそうだ。構造物の基礎は、まず鋼矢板を打ち込んで締切り(右下の写真)、その中にコンクリートを流し込んで構築した。資材、特に可動扉やその下のコンクリート土台は、陸上で製造して現地まで船で運び、クレーンで吊って慎重に降ろし、河床に設置する方法が採られた。

テムズ・バリアは飽くまで防災施設であり、観光色はあまり強くない。現地では堤防の上にカフェがあり、お土産がほんの少しだけある。そこで£5を払うと、1階下のインフォメーション・センターに入場できる。そこには、ロンドン科学博物館に展示されていた模型の“電動版”が設置されており、水位の高まりに応じて可動扉が回転してせり上がる様子が再現されていた。なかなか面白い。残念ながら模型は撮影禁止なので、左下にオペレーション・ルームを再現したセットの写真だけを掲載する。機能確認等のため、毎月1回は試験稼働をしており、年内日曜に行われるのは来週の10日だけ。予定がなければ、行ってみようと思う。

地震がほとんど無いヨーロッパでは、自然災害への取り組みはそれほど重要視されていないと思っていたが、防災という目的だけで(水力発電を兼ねたダム等ではなく)、これほど大掛かりな土木建築構造物を造り上げるなんて、十分立派な防災意識を持っているではないかと、いたく感心した。巨大地震や津波は、発生すれば大災害となるものの頻度は少ない。それに対し、世界の多くの国と地域が最も頻繁に直面している災害は、何と言っても洪水・高潮だ。先進国に対して日本の防災技術を紹介し、世界の災害対策に取組むなら、洪水・高潮に一旦焦点を縛った方がいいかもしれない。

こういった防災施設を見る度に痛感する。

尊い人命・財産・生活・文化・社会を自然災害から守るには、大自然の猛威に立ち向かう「情熱」と「知恵」、そして事前に被害を抑止する方法を具現化するための「科学技術」が必要なのだと。

人類ならではの“エンジニアリング”を駆使しなければ、我々に恩恵を与えてくれる一方で時に理不尽な振舞いをする大自然とは、決して“共存・共生”することはできないだろう。

Headmaster / 学院長

1965(昭和40)年生まれ射手座A型のスーパーカーブーム直撃世代。小学高学年でガンディーニ・デザインに魅了される。
時を経て1990年、ロンドン駐在時に英国製の1/43精密モデルカーに出会い収集を始める。1998年の帰国後は、国内の専門ショップに収集拠点を移し、現在に至る。
スーパーカーを主軸とするロードカー・2ドアクーペに車種を限定することで、未組立キットを含め約5000台を収集。
モデルカーの認知拡大、コレクターへの支援、業界の充実発展を願い、主力3700台を『世界モデルカー博物館』に展示。
同時に、展示作品の愉しみ方を解説する本サイト『モデルカー学』を開講。現在も「コレクター道」を実践・追究している。

―2015年5月現在―

2017年6月末に英国ロンドンへ再赴任し、現在ロンドンから欧州の様々な情報をブログとFacebookで配信中。

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